いわき海洋調べ隊「うみラボ」活動のきろく

いわき市に誕生した、有志による団体「うみラボ」。けんきゅう員が日々の活動やイベントのお知らせを綴っていきます。

第2回 福島第一原発沖海洋調査レポート(1)ツアー編

いろいろなことを、まずは自分たちでやってみる。気になるところには実際に行ってみる。気になるものは実際に調べてみる。そのDIY精神こそ「うみラボ」の原点。

福島第一原子力発電所そばの海域は、実際のところどんな状況になっているのか。それを自分の目で確かめるため、私たちうみラボは、4月27日、2回目の「福島第一原発沖海洋調査」を行いました。今回からまた数回に分けて、その調査の模様をレポートしたいと思います。初回は、福島第一原子力発電所“まで”を紹介します。


—ヨ〜ソロ〜 進路は北へ

第2回海洋調査が行われたのは、いわきの山々もすっかり葉桜になった4月27日(日)。天気は快晴。時折強い風が吹くものの、調査には問題ないレベルです。朝9時。いわき市北部の久之浜漁港に、調査隊のメンバーが続々と集まりました。

久之浜漁港は、いわきを代表する良港のひとつ。震災前は、ヒラメやカレイなど地物の魚の水揚げが盛んで、その味は関係者からも高い評価を受けてきました。いわき市の北部であり、福島第一原子力発電所からは、30数キロといった距離。今回、調査のための船を出して頂いた、富岡町出身の石井宏和船長の船、「長栄丸」が避難している港でもあります。

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久之浜漁港。釣り人の姿も戻り、穏やかでゆったりとした時間が流れている

今回の調査、うみラボからは、けんきゅう員の八木と小松、アドバイザーの五十嵐泰正せんせい、そして計測アドバイザーの津田和俊せんせいが参加。そして、今回から、正式に「アクアマリンふくしま」の協力を頂けることになり、モニタリング調査など経験が深い、獣医の富原聖一せんせいがアドバイザーとして参加して下さいました。

それから今回はメディアの記者の方、地元いわきで活動を続ける「未来会議 in いわき」のメンバーにも参加頂き、総勢12名で船に乗り込みます。船は、長栄丸の石井宏和船長に協力頂きました! 石井船長の協力なしでは、うみラボの調査は実現できません。この場を借りて、まずは御礼申し上げます!

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意気揚々と久之浜漁港を出発するうみラボ調査隊!


朝9時半に久之浜漁港を出港!! 調査隊、いってきます!!!

出港したときに気づいたんですが、堤防で釣りをしている人がまた増えてきたなと。漁は「自粛」されていますが、釣りが禁じられているわけではありません。太公望が釣り糸を垂れる日常風景が戻りつつあることに、何か少し力をもらった気がしました。

さあ、漁船はけたたましいエンジン音をあげながら、大海を切り裂くようにモリモリと進んでいきます。ヨ〜ソロ〜。船は北へ向けて進路を取るため、ちょうど進行方向の左側に沿岸の様子を捉えることができるのですが、久之浜あたりから切り立った崖が多くなってくることに気づきます。

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いわきから双葉郡に入ると、海岸線はこのような断崖が目立ってくる

いわき市の沿岸は、「いわき七浜」といって大きな海水浴場もいくつかあり、ゆるやかな海岸線が続いているのですが、久之浜以北は、このように切り立って崖になっているところが増えてきます。三陸のように入り組んでいるわけではなく、比較的まっすぐな海岸線が続いているんですね。これは、このあたり独特の景観のような気がします。

そして、この砂岩の崖がひとしきり続くといきなりズドンと広野火力発電所があり、また再び切り立った崖が続き、突如として福島第二原子力発電所が現れ、また切りたった崖の次に福島第一原子力発電所が現れる、といったような景観が続きます。

うみラボの調査は、あくまで海水や泥の調査が目的ですが、こうして海岸線の地形を実際の目で確認できる「ツアー的側面」もメリットかもしれません。写真を撮ったり地形について話をしたりと、皆さん活発に話をしていました。実際に目で見ると、これまでの得てきた情報に立体感が出てくるんです。それを実感できます。

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久之浜漁港から20分ほどで広野火力発電所に到着する。2本の長い煙突が印象深い

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津田せんせい(中央で指差しをしている)による解説。発電方法などについても詳細にレクチャー

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福島第二原発前。非常に海に近いところにあることが見て取れる


浜通りと「電気」の関わり

今回は、津田和俊せんせいに、広野火力発電所福島第二原子力発電所の解説をして頂きました。ちなみに、広野火力発電所は1号機から4号機までが重油、5号機と6号機では石炭が、それぞれ燃料として使われていますが、そこで使われる石炭は小名浜港から輸送されているものなんです。

小名浜港には東京電力の「コールセンタ―」があります。コ、コールセンタ―? 一瞬電話対応のアレかと思ってしまいますが、違いますよ! 「コール」、つまり「石炭」の貯蔵センタ―です。小名浜の工場地帯に、黒い山を見たことはありませんか? アレです。現在は小名浜港そばにありますが、沖合に建造が進む「小名浜東港」への移設が予定されていますね。

→この黒い山、下のコメント欄にあるように、わひてさんによると、小名浜精錬株式会社の「銅カラミ(銅の精製で出る副産物)」で、石炭ではないとのこと。しっかりと埠頭で管理されているようです。ご教授頂きありがとうございました!

かつて「フラガール」の時代、常磐炭田から産出される石炭を運び出したのが小名浜港でした。そして今は、海外から輸入される石炭の貯蔵拠点となり、それが広野火力発電所に運ばれ、首都圏の皆さんの暮らしを支えているわけです。

電気を作る、そしてその電気を使うということについて考えるのに、浜通りの沿岸ほど適した地域も他にないでしょう。双葉沖の洋上風力発電施設や、いわき内陸の水力発電常磐炭礦の跡地などもあわせて見学できれば、エネルギーと浜通りの歴史について、深く知ることができそうです。


—日本一小さな漁港へ

久之浜漁港から20分ほどで広野火力発電所、そこから20分ほどで福島第二原子力発電所、そしてさらに、そこから20分ほどで福島第一原子力発電所に到着します。

道中、石井船長から様々なお話をして頂きました。特に印象深かったのは福島第二原発と第一原発の間にある富岡町の「小良ケ浜(おらがはま)漁港」跡です。石井船長は、もともと富岡漁港を拠点に漁を行っていた漁師です。震災時は、沖へ退避して船を守り、長栄丸は、富岡町で唯一生き残った船となりました。長栄丸は現在、久之浜漁港へ避難しており、私たちの活動に協力して下さっています。

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現在の小良ケ浜漁港跡。写真ではわかりづらいが、細い入り江に接岸して船がつけられていた

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かつての小良ケ浜港 (出典:東日本大震災 写真保存プロジェクト

小良ケ浜漁港は、周囲を断崖絶壁に囲まれた小さな入り江で、かつては「日本一小さな漁港」と呼ばれたそう。昭和63年に閉港されてしまいましたが、なんとも言えない味わいを残していました。この小さな港にどんな物語があったのか、思い馳せずにいられませんでした。

ちなみにこの漁港の地名である「小良ケ浜」ですが、戦国時代、北の相馬氏と南の岩城氏の両方が領有を主張し、「オラが浜(私の浜)」だと言ったことから「小良ケ浜」になったのだという説があるようです。同様に、桜で有名な夜ノ森も「余(私)の森」だと主張したことが由来だという説も。まあ、wikipedia情報ですが。


—いざ、福島第一原発

小良ケ浜漁港を過ぎると、遠くに東京電力福島第一原子力発電所が見えてきます。このあたりになると、やはり皆さん緊張感も高まるようで、じっとカメラを構えながら前方を見据える姿が印象的でした。

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うみラボけんきゅう員たちの視界の先に、福島第一原子力発電所が見える

右から4号機、3号機、2号機、1号機と続き、少し離れて5号機、6号機。最近ではテレビなどで原発のニュースが報じられることも減っていますが、前回よりも復旧が進んでいるようですし、やはり現場で働いていらっしゃる方たちの成果だなと思います。

ここに来るとなぜかこう背筋が伸びるというか、神妙な気持ちにさせられます。かつて私たちの生活の根底を支えていた場所であり、甚大な被害をもたらし続けている場所であり、そして今もなお、廃炉のための戦いが続いている場所。改めて、復興への願いを強くせずにはいられませんでした。

と、そうこうしているうちに、船は1.5キロ沖のポイントに到着。ここで採水、採泥の調査を行うのですが、その調査の模様については、次回、「調査編」で詳しくご紹介したいと思います。海水、泥の採取、それから計測結果までをレポートする予定です。(遅筆ですみません(大汗))